ケサン基地
テト攻勢から多くの戦死者を出したケサンの戦いの舞台。
アメリカは、ベトナム軍から基地を守りぬくも、ケサン基地を維持するコストが高くつくことや、塹壕に対する航空爆撃の威力が比較的低いことなどから、結局ケサン基地を破壊して撤収することとなった。
戦術的には勝利しながらも最前線のケサン基地を放棄するという決定はテト攻勢とともにアメリカ国民に大きなダメージを与え、これを境にアメリカ国民の中にベトナム撤退支持層が増えることにつながった。
ミーソン聖域
今のベトナム中部から南側は、かつてはチャンパ王国が支配していた。
ミーソン聖域はチャンパ王国が残した遺跡だ。
ミーソン遺跡とも呼ばれるが、ミーソン聖域と呼んだ方が、神秘性を感じるこの場所にマッチしている。
カイディン帝廟
カイディン帝廟は、フランス植民地時代の1920年から11年の歳月をかけて建設された東洋と西洋の折衷様式の廟である。約6年かけて建築したこの墓所はヨーロッパ風の高い塔が建っている。カイディン王朝はフランスの影響を受けていたことで知られているが中国の影響も残っており帝廟の前には役人、象や馬の像が立つ。帝廟内部は写真や遺品、カイディン帝の像などが展示されている。
ギャラリーをみるハノイオペラハウス
オペラハウスは1901年着工、10年の歳月を経て1911年に完成します。設計者は、公共建築監査官アルレイ。
ここは、革命時の蜂起の場として革命史跡でもあり、ベトナム現代史の上でも重要なランドマークです。
タンロン遺跡
タンロン皇城の中心区域は2003年に発掘された遺跡で、昔から~1010年頃から~1814年まで一貫してこのハノイの地に都を築いてきたと言う事もあり、各年代の都の遺跡が何層にも重なっている遺跡。
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